最高裁判所第二小法廷 昭和34年(オ)213号 判決 1962年12月14日
主文
原判決中上告人小池藤左衛門、同小池正澄に関する部分を破棄し、右部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
上告人崔竜駿の本件上告を棄却する。
前項の部分に関する上告費用は、上告人崔竜駿の負担とする。
理由
上告代理人真田重二の上告理由第一点、第二点について。
上告人小池藤左衛門は、小池組なる商号を使用して土木建築請負業を営んでいる者であるが、昭和二八年から病気のため自から営業をすることができなかつたため、息子の上告人小池正澄をして右請負業の監督をさせており、上告人崔竜駿は、土木建築下請負業を営む者であること、上告人藤左衛門は、和歌山県から水害復旧道路工事等を請負い、昭和二九年三月頃より数回上告人崔と下請負契約を締結し、本件事故発生当時は、上告人藤左衛門が和歌山県から請負つた同県有田郡八幡村(現在清水町)久野原地内の昭和二八年度および同二九年度県道高野湯浅港線道路復旧工事の下請工事をさせており、上告人崔は、右下請工事に要する砂利、セメントその他の材料等の運搬、右下請工事に関する連絡などに本件小型四輪貨物自動車を使用していたこと、右自動車は、上告人崔において昭和二九年三月一〇日前所有者たる上告人藤左衛門より買い受けたものであるが、登録名義の変更手続をせず、本件事故が発生した同年八月一三日当時においても、登録上は上告人正澄の名義となつていたばかりでなく、右自動車に金文字で小池組の表示のあるままで前記用途に使用することを上告人小池両名において黙認していたこと、本件下請負契約においては、上告人崔の施行する下請工事につき、上告人藤左衛門は和歌山県の設計書に基づいて、コンクリートの配合状況、道路の中心の確認、道路ののりの勾配、床堀の状況等の監督をすることになつており、上告人崔は右監督のもとに工事を施行する約束で、実際においても、上告人藤左衛門の方から、毎日のように工事現場に施行の監督に来ていたこと、本件事故当日は盆休みであつて、上告人崔は神戸市の自宅に居住する妻が手術をすることになつており、右自宅に帰る必要が生じたので帰宅することになつたが、たまたま右下請負業に使用する本件自動車の雇運転手が盆休みで帰郷していたため右自動車を運転する者がいなかつたので、前日の一二日息子の崔徳鎬をして自動三輪車の運転免許しか受けていない上久保和一に本件自動車の運転を依頼させてその承諾をえ、事故当日まず運転免許を受けていない崔徳鎬に本件自動車を運転させて前記清水町大字久野原の飯場事務所を出発し、同町大字清水で上久保和一を同乗させたところ、途中上久保は同人の元雇主小池智からその所有する自動三輪車の故障の修理方法を和歌山市所在の宮本モータース店に問い合せてくれるよう依頼を受けてこれを承諾し、ついで崔徳鎬と交代して上久保が本件自動車を運転して海南市海南駅に至り、上告人崔はここで降りるとともに、その後は上久保および崔徳鎬の両名が和歌山市を経て前記飯場事務所まで右自動車を運転することを許容し、上久保は右自動車を運転して和歌山市に至り、宮本モータース店に立ち寄り小池智から依頼を受けた用件をすませ、崔徳鎬の運転により帰途につき、和歌山県紀三井寺附近から上久保が交代して運転しているときに、海南市日方和歌山電気軌道株式会社日方停留所附近の道路上で、同人の運転上の過失により本件事故を惹起したことは、いずれも原判決が確定した事実である。
右事実関係からすれば、上久保の本件自動車の運転は、上告人崔の下請負業自体の執行ではないけれども、自動車を使用する同人の前記下請負業と密接な関係にあり、客観的にみて同人の支配の範囲内にあるものであるから、その事業の執行についてなされたものというべきであるとした原判決は、正当としてこれを是認しうる。第一点の論旨は、独自の見解に立脚するもので採用できない。
つぎに、元請負人が下請負人に対し、工事上の指図をしもしくはその監督のもとに工事を施行させ、その関係が使用者と被用者との関係またはこれと同視しうる場合において、下請負人がさらに第三者を使用しているとき、その第三者が他人に加えた損害につき元請負人が民法七一五条の責任を負うべき範囲については、下請工事の附随的行為またはその延長もしくは外形上下請負人の事業の範囲内に含まれるとされるすべての行為につき元請負人が右責任を負うものと解すべきではなく、右第三者に直接間接に元請負人の指揮監督関係が及んでいる場合になされた右第三者の行為のみが元請負人の事業の執行についてなされたものというべきであり、その限度で元請負人は右第三者の不法行為につき責に任ずるものと解するのを相当とする。そして、前示原判決の確定した事実関係からすれば、本件上久保の行為は、原判決のとおり、上告人崔竜駿の本件下請負業自体の執行ではなくただそれと密接な関係にあるため外形上同人の事業の執行の範囲内に含まれるといえるにすぎないのであるから、このような場合の上久保の行為が元請負人たる上告人藤左衛門の事業の執行についてなされたものとするための前記要件をみたすものとは到底認めることができない。したがつて、上告人藤左衛門と上告人崔との関係が使用者と被用者との関係と同視しうること、上告人崔が本件自動車を使用してその事業を営むことについて上告人藤左衛門の指揮監督を受けていたことおよび上久保の本件行為が上告人崔の事業の執行についてなされたものと認めうるとのことから、たやすく右上久保の本件不法行為が上告人藤左衛門の指揮監督権の及ぶ事業の範囲内において発生したものであるとした原判決には、法律の解釈を誤つたかもしくは理由不備の違法があるというべきである。されば、論旨第二点は理由あるに帰し、原判決は上告人藤左衛門および同正澄に関する部分については破棄を免れない。そして、本件は右部分について、なお前示上告人藤左衛門の指揮監督関係の点をさらに審理判断すべき要があるものと認められるから、右部分について本件を原裁判所に差し戻すことを相当とする。
同第三点について。
原判決が、亡薮中千代の得べかりし利得は、死亡当時の三二年六月からその後満六〇年まで二七年六月間、年間七四、〇〇〇円の割合による合計二、〇三五、〇〇〇円となるが、これを死亡時において一時に支払を受けるものとし、ホフマン式計算法により年五分の割合の中間利息を控除して計算すると一、三〇一、七一五円(円以下切捨)となることは計算上明らかであると説示していることは所論のとおりである。ところで、論旨がホフマン式計算法として挙示する算式は、推定余命年間の全利得をその最終時に利得するものとの仮定に立つてその金額から中間利息を控除して算出する方法であるが(これをかりに単式と名づける。)、同じくホフマン式計算法といつても、推定余命年間を数期に分ち、各期末ごとに利得するものとの仮定に立つてその各金額から各中間利息を控除してそれらの合算額を算出する方法もある(これをかりに複式と名づける。)そして、前記のように、原判決は一年ごとの得べかりし利得を七四、〇〇〇円と確定しているのであるから、このような本件の場合においては、一年ごとの期間に分ち前記複式により算出するのが相当である。よつて、この方法により前記数字をあてはめて計算してみると、少なくとも、原判決が最終的に第一審判決の限度において被上告人薮中俊一、同実康、同資康の三名に対して認容した損害賠償請求額の合計九七八、三〇五円以上になることは計算上明らかであるから、論旨は、なんら原判決に影響を及ぼすべき法令違反の主張とはならない。論旨は採用できない。
よつて、民訴四〇七条、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助)